菅沼研一教授(教育学部芸術文化教育講座)

菅沼研一教授写真研究室の平らなところには「書類や作品、仕事の道具をつい置いてしまい、いつも散らかっている」と言う、加熱して溶かした金属を鋳型に流し込んで彫刻をつくる鋳金美術の専門家である「菅沼先生」にお話を伺いました。

「最近はストレスがたまることが多い」とお聞きしましたが

そうなのです。手を動かして何かを作っていないと「ストレス」がたまってしまいます。他の仕事で作品がつくれない日が続きますと「イライラ」してきます。でも、そんな時は手を動かすために作品づくりに没頭する時間をつくるように努力しているのですが、この頃なかなか時間がつくれません。プッツン、爆発しないよう気をつけます。

手を動かすのが好きなのは若い頃からですか?

高校の頃は絵ばかり描いていました。地方の進学校だったのですが、親が学校から呼び出され「お宅の息子さんは美大に行く」と言って、毎日絵ばかりを描いているけどそれでよいのですか?と言われました。うちの親はその質問に対して「本人にまかせていますので結構です」と答えてもらったときは嬉しかったです。「親が認めてくれたのだ」と。その時は非常に有り難かったです。

高校時代何か印象に残ったことは?

先ほど友達も作らず一人絵ばかり描いていましたとお話しさせていただきましたが、学業の成績は下がり、いつのまにか私の席が教室の最前列に移動させられていまして、ある日倫理社会の先生に授業中「スガヌマ、おまえはデッサンばかりしているのだったら、黒板もデッサンしてみろ」と言われました。ノートも取らずに授業の内容を聞いているのか、いないのかも分からない様子に見かねてそんなことを言われたのでしょう。教室内は爆笑の渦になり非常に恥ずかしい思いをしました。

何故、鋳金美術に進まれたのですか?

本当は絵かきか彫刻家になりたかったのですが、絵や彫刻を作りながら自分の将来の生活が見えてこなかったこともあります。そこで何か無いかと考えたところ、当時、(現在でもそうなのですが、)郷里の盛岡では釜屋の主人は「文化人」として尊敬を集めていました。外国から視察の人たちが結構来たりして、外国との窓が開かれているようにも見えました。それに長男なものですから、当時の考えでは地元に残ることは当たり前に思っていたことでした。しかしどうにかして美術を生業として生きて行きたいと願っていました。

また、この時期白磁が美しいと感じた体験があったりして、正直、茶釜や鉄瓶を美しいと思った事はあまりなかったのですが、でも土で挽かれた「鋳型」が白磁に負けずきれいだとは思いました。もともと人としゃべるのが苦手なたちで、鋳型のようなもの言わぬ物を前にして毎日過ごす仕事も良いじゃないかな?と思いました。

高校と大学の違いは何ですか?

違いですか。大学は「考えて自分で学ぶところ」ですかね。高校までは結論が解っていることを学んできましたが、大学で学ぶことは簡単には結論を得られないことを学びます。ですから、24時間そのことだけ考えて学んで欲しい。しかも自信を持ってね。難しすぎますか?

言い方を変えると「大学は自分の勉強の方法を獲得するためのところ、基礎を作るところ」と言ったらよいでしょうか。

今の学生さんに何か一言 本物を観て欲しいですね。

美術館や博物館で本物を観て欲しいですね。

でも、日本人は不思議なところがありますよね。例えば京都や奈良から国宝級のものが東京に来ると列を作って観に行きたがりますが、京都や奈良ではそんな光景を見たことは無いですよね。現地に行けば、独り占めするようにじっくりと観ることができますよ。普段そんなに関心を見せないのに、どうしてそうした時のみにああした現象が起きるのでしょうか。確かに多少お金はかかりますが、現地なら取り巻いている空気、光、歴史の流れまで一緒に体験できるのに。不思議だと思いませんか?

質問と違う方向に向いてしまいましたね。「学生さんに」でしたよね。ともかく本物を観て見る目を育てて欲しいです。 最近はデジタルでオリジナルに対する考えも変わってきていますが、このようなときですから、デジタルではない本物を観る訓練をして欲しいですね。もっと、美術館や博物館に足を運びましょう。そして、本物を通じて学んでください。

それから、大学生は感覚を磨くには「もう若くないですよ」と言いたいです。感覚を磨く鍛錬ができる時期には限りがあると考えています。それは20歳までだと思っています。それ以降、慣れはしますが巧くはなりません。発想や感覚的な基礎が固定されてしまいます。ですから、できるだけ早く始め、1分1秒を大切に勉強して下さい。

本物に触れてくださいとは?

日本は世間が認めたものだけを良いものとしている風潮が強いですね。分かりやすいのが例えばブランドのバックなんか。自分自身で認めたものではなく、他の人達が認めたものを良いものとして認めていますよね。それって違う気がするのです。

何故自分自身で感じたものを良いと認めないのでしょうか?今日・明日認められなくても将来認められるものもあると思います。自分自身での基準が無いのですね。自分で価値基準を持って評価して欲しいですよね。最近の若い人たちは我々のその頃とはだいぶ違い、そうした点は成長していますが、他人の評価なんて参考にするくらいの考えで、自分自身での良いもの、そうでないものの好みを越えた客観的価値基準を作って欲しいです。それには本物が教えてくれますから。そんなに多くの物を目にし、触れる必要もないと思います。本物には全てがありますから。

高校生に一言

人生の黄金期です。あらゆることを吸収して下さい。
受験・受験で辛いかもしれませんが、砂に水がしみこんで行くように知識を吸収し、キラキラした感性を磨ける時期は「今」しかありません。知らぬ間にある日突然そのスピードは落ちますし、将来そうした研鑽をさせまいとする様々な事も生じてきます。出来るだけ多くのことをひたむきに純粋に吸収して下さい。この時期吸収したことが生涯の基盤となります。

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